紀行

東海自然歩道を歩く(69-1)
滋賀里・崇福寺・比叡山

 平成30年8月15日 池内淑皓

 2017年12月20日(水)(晴れ)寒い。浜大津の宿を出て京阪で滋賀里駅に向かい、昨日の続きを歩き繋げる。
崇福寺跡を見て、比叡山に登り、横川中堂から仰木峠経由で大原に出て、三千院に詣で京都から横浜に帰る。
本文は前半部分、滋賀里駅から比叡山ケーブル駅まで記述する。

東海自然歩道(滋賀里駅~崇福寺~比叡山)概念図(青図は今日歩くコース)

朝7時、京阪滋賀里駅に降り立つ、まだうす暗い。

駅で朝食を採り、顔を洗ったら夜が明けた。コーヒーを一杯飲んで出発。
駅前に「左 近江朝廷 崇福寺遺跡」の道標に従って歩く。

東海自然歩道(滋賀里駅~崇福寺までの概念図)

    
歴史を感じさせる古道だ(滋賀里一丁目)

「百穴古墳群」 崇福寺手前にある。
古墳時代後期の古墳群であると言う。大津宮遷都に伴って飛鳥地方から共に移ってきた渡来人でないかと言われている。この狭い場所に 100基位ありそう。

大きな石で玄室を設け死者を弔った。出土品には金製品、土器、祭器がある。

この道はまた山中町から京白川に抜ける「旧山中越」(滋賀の山越え)街道でもあった。
街道途中には滋賀の大仏が安置されている。

「石造り阿弥陀如来坐像」(高さ3.5m)で、大津側の入口に置かれ、道中安全を祈願して造られた。花崗岩製で13世紀頃置かれたらしい。

「崇福寺跡」(滋賀寺とも呼ばれた) 天智天皇七年(668)の大津宮遷都の翌年ここに建立された。
弥勒堂、金堂、小金堂等、堂塔伽藍が光輝いていたと伝える。

「金堂跡」 大津宮が廃されても繁栄し、平安時代には十大寺に数えられた。
これらの塔頭も時代と共に草木に埋もれていった。近年の発掘で舎利容器、瑠璃玉、鐘、銀銭等が出土し、それらは国宝指定されている。(現物は京都国立博物館に陳列)

道は比叡山に向かって山道に入る。(一部区間土砂崩れのため閉鎖の案内がある)

琵琶湖が見えた

「弁財天」ここまで来ると、延暦寺境内の一部となる。  

明王堂の塔頭かな、南からの日を障子が受ける式台は、何とも風情がある。
一本足の足駄がにくい。

境内に建つ自然歩道の道標

「明王堂」重文

明王堂本堂

距離入りの道標がしっかり建てられているから安心。

比叡山ケーブル頂上駅への道、岩を削って作られている、意外とやばい道だ。

ケーブル駅から見た琵琶湖、この辺りは雪がある。

根本中堂への道は、凍結しているから注意が必要

[参考タイム]滋賀里駅(7:00)→崇福寺址(7:40-7:50)→明王堂(10:00)→ケーブル駅

この項完

東海自然歩道を歩く(69-2) 比叡山・三千院・大原 へ続く