藤沢宿をあるく(1)
稲 元 屋

 八柳 修之

稲元屋は1845(弘化2)年の創業、初代寺田三郎兵衛は藤沢宿を代表する豪商で間もなく呉服店に転じた。質素と誠実を家訓とし、1876(明治9)年には、約9,000両の資力と10名の店員を要し、東海道に寺田屋あり、東海道の三越とも言われた。


1891(明治24)年には亀井野で行われた陸軍大演習の際、明治天皇のご行在所(宿泊所)ともなった藤沢一の名家であった。1925(大正14)年6月25日の横浜貿易新報(神奈川新聞の前身)によると、当時の稲元屋洋品店は洋風2階建てであった。販売方式は旧来の掛値、座売に対して稲元屋は正札付、総陳列方式であった。また買い物の有無にかかわらず、自由に商品が見ることができるデパート式の店舗であった。デパート式にした両日、約5,000人もの来店があり盛況であったと報じている。1977(昭和52)年、火災で多くの建物が焼失し、内蔵と一番蔵のみが残され2015(平成27)年8月、国の有形文化財に指定された。2件とも土蔵造りの2階建てで一番蔵は明治中期の建築で呉服の型紙、大福帳などの収蔵庫として使われた。関東大震災前は瓦ぶきだったが、震災後は鉄板にされた。内蔵は1935(昭和10)年に建てられたもので、震災後の建築とあってボルトなどで柱が補強され、蔵の中には家財道具や文書が収納されやすいように床が高くなっている。蔵の中は公開されていないが、蔵の模様は泉川電機商会と旧近藤眼科の間の路地を入って行けば外観は見ることはできる。
稲元屋は1961(昭和36)年株式会社となり、平仮名のロゴで、さいか屋2階で婦人服店を営んでいる。実に170年余も続いていることになる。
(参考・引用:「藤沢市の民家」:教育委員会。「藤沢市史 別編2」藤沢市など)