自由歩行
  ゆっくりウォーク....

  逗子・葉山のハイキング
    長柄桜山古墳群
2023年
7月15日

(土)

天気:曇りのち晴れ  参加者:208名  距離:①7km ②11km   担当: 藤井
コース 逗子海岸→六代御前の墓→長柄桜山2号墳→長柄桜山1号墳
→葉桜バス停→葉桜児童館→桜山中央公園→JR東逗子駅(①ゴール)
→第一運動公園→JR逗子駅(②ゴール)

逗子海岸に集合 「太陽の季節」記念碑からスタート
田越川河口(渚橋から) 六代御前の墓


急坂を上る②
急坂を上る①
2号墳付近からの眺望 ひと休み


1号墳への尾根道①
1号墳への尾根道②
1号墳の案内板 前方後円墳 全景
円墳部分 3人で写真
葉山桜山地域 中村君 ゴール

写真撮影  川澄・藤井

 今月のゆっくりウォークは「逗子・葉山のハイキング 長柄桜山古墳群 」である。逗子・葉山にまたがる低い丘陵地にある古墳を訪ねる。猛暑が続く中、幸いにもこの日は曇りがちの天気で、何より風があったので助かった。

 集合場所は逗子駅から市街を抜けて2kmほど離れた逗子海岸である。田越川(たごえがわ)河口にかかる渚橋を潜り抜けると逗子海岸、右手に「太陽の季節」文学記念碑がある。「太陽の季節 ここに始まる」と石原慎太郎の文字が力強く彫られている。その前の浜辺が集合場所である。おだやかな海に江の島が浮かんでいる。

 8:30に受付開始。参加者は自由歩行で随時スタートした。当方も8:40に出発。渚橋を渡って田越川に沿って進む。1㎞ほど歩くと小さな塚があって、大きな欅の老樹が小塚を覆うように植わっていた。この塚前に「六代御前の墓」とある。六代御前とは平清盛の曾孫らしい。

 「六代御前の墓」の脇から上りになる。雑木や竹が繁茂する下に細い坂道が延びている。この坂道が曲がりながら続き 結構きつかった。「ゆっくりウォークだけどハイキングだね」。そんな声が前後で聞こえる。

 「長柄桜山古墳群 第二号墳」という案内板の傍に相模湾を望む所があって、ウォーカーがひと休みしていた。江の島はよく見えたが、富士は頂上付近が雲間から見える程度であった。ここで水分補給をした。2号墳から1号墳までは細い尾根道で、周囲は相変わらず樹木に覆われていたが、危険な所は縄がけもしてあり歩きやすかった。

 急に樹林が開けて明るい空の下に大きな前方後円墳が現れて驚いた。「長柄桜山古墳群 第一号墳」。一目でそれとわかるもので、その形と緑色の美しさに感動した。それは当然のことで、逗子市の公式サイトによると そもそもの発見が平成11年で、その後発掘・調査が行われ成形工事が終了するのが令和6年の予定である。まだ生まれ出たばかりの古墳!長さは90mほどあり、逗子市と葉山町にまたがっている。標高100mほどの低い丘陵の一部を削り、或いは盛土して成形しているという。4世紀後半の古墳らしいが、この辺りを束ねた豪族についていろいろ発掘調査・解明されるのが待たれる。

 田越川はこの古墳の近くに水源をもつ。逗子市のHPによれば田越川流域には弥生時代から古墳時代にかけての土器が多く出ているらしい。三浦半島の相模湾側からのつけ根から田越川を遡上すると、ひと山超えれば東京湾側 横須賀市の田浦から走水まではすぐである。奈良時代以前の古東海道が畿内から来て、このルートでヤマトタケルも走水から房総へ海路渡ったか・・と推測しているのが楽しい。

 大きな前方後円墳の周囲は発掘にともない樹林が払われ、空が明るく風が通っていく。古墳を覆う草の緑が心地よく、ウォーカーも涼しげな風景を見てしばし休息していた。
そこへ中村弘道さんと厨川純一さんがやって来た。二人とも私には長いおつきあいである。
中村さんはご存知、川柳・金子勝彦さんの相棒で、会報ではなじみの画伯。厨川純一さんも古い会員には知り合いの方が多いと思う。特に厨川さんとは、昨冬の各駅停車(モノレール)の例会以来 今年初めて会うので、歩きながらも話が尽きず、このHPレポートもすっかり忘れてしまっていた。昨年来、会報に原稿を頼んでいるのだが、どうも難しそうなので彼のプロフィールだけでも、この項に書いておく。

 彼の祖父は明治の英文学者・文芸評論家 厨川白村(1880ー1923)である。私などは高校時代に国語・現代文で読んだ記憶があるから、白村を明治の文豪と思っていた。白村は東京帝大で小泉八雲の英文学講義を受けている。八雲が帰国して、後任の夏目漱石から英文学の指導を受け、漱石とは強い師弟関係があったようだ。1923(大正12)年9月1日 鎌倉沖を震源とする関東大震災。 鎌倉の別荘にいた白村は罹災し翌日亡くなった。享年43歳である。
 そんなことで厨川純一さんに、関東大震災100年だからFWA会報9月号に何事かを書け!と頼んできたが、一向に良い返事が返ってこない。今回のウォークでは「我々の家族の間では、祖父より祖母の方が評判が高いのよ」という。どうして?と訊くと「鹿鳴館に出入りしていたそうよ」という返事が返ってきた。

 厨川君の歩友は既によくご存知だが、同君は国内・国外を広く闊歩しているウォーカーである。2年に1度のIVV世界大会にも毎回参加して、彼とともに海外を歩くFWA会員も多い。
ことしも2月にテキサス州サンアントニオに参加。この日聞いたところでは、今年地方では北海道へ2度、東北、山陰地方と歩いているらしい。元会長の平野さんから、2年後のIVV世界大会はフィンランドのムーミン谷と聞いたが・・と水を向けると、ヘルシンキには3度歩きに行ったよ、という返事が返ってきた。2年後も無論行くという。これでヘルプマークをさげて、ノルディックスタイルで歩いているのだから、私なんかには何がなんだかさっぱり分からない。

 3人であれこれ話しながら、葉山桜山の長い住宅街を歩いた。昭和40年代以降の開発団地とあるが、長柄桜山古墳群が発掘されて以降は開発が規制されているらしい。陽ざしが出てきて、葉山の住宅街を歩いていると逗葉地域の風に香りが感じられた。朝、集合場所の逗子海岸に向かう途中で、元気な逗子開成の高校生たちに出あって、「真白き富士の嶺 緑の江の島♬」を思い出していたせいか。緑濃い桜山中央公園からショートコースの東逗子駅を経由して逗子駅に向かった。逗子駅に3人でゴールした。11時ちょうどだった。
(川澄 武雄)