寄り道さん歩

 

大江戸 福めぐり(雑司ヶ谷・新宿山ノ手七福神、下町八福神)


平野武宏

その4-2に続いての福めぐりです。続けてのご愛読ありがとうございます。各寺社やご利益の説明は各寺社のパンフレットや案内板から引用しています。それぞれ特色ある表現になっていて面白いです。

3.雑司ヶ谷七福神めぐり(パンフレットご覧ください)
寅次郎の住む豊島区の七福神です。
地元ボランティアの案内ツアーがありましたが、あいにく参加出来ず、地図を片手に一人歩きです。
池袋駅東口 西武百貨店前からスタート、南池袋公園脇、前は予備校がある仙行寺へ。コース上には七福神のぼりがありました。
仙行寺(華の福禄寿) ご利益 幸福・延命
江戸時代初期の創立、小石川・白山にあった善行寺と隣接の仙応院が合併して仙行寺と改称。今日に至ったそうです。

南池袋東通りの中野ビルの前に口をあけて笑っている石像があります。

中野ビル(布袋尊) ご利益 財福・円満
中野家は大阪城の石材供給地小豆島の出身。7代目布袋尊を護持し、皇居二重橋や国会議事堂などの石造建築を手がけた。尊像は戦火を被ったが、今は池袋復興のシンボルとして地域に親しまれている。前方は雑司ヶ谷随一の名刹「法明寺」の裏、先の塀沿いを歩く。近くにある東京音大への近道で学生さんが多く歩いている。

法明寺境内へ入ると観静院は参道にあります。
     
観静院(弁財天) ご利益 学問・芸術
昔は一面の梅林だったそうです。中に天神堂があり、加藤清正はご神体を供奉し、文禄・慶長の役を全うとのこと。後年、尊像はこの地に戻り、元の梅林は拓かれ、当院が創設されたそうです。

法明寺正面の先に見える鬼子母神へ。

    
雑司ヶ谷鬼子母神(大黒天) ご利益 開運・福徳
深い木立ちの中にどっしりと構え、江戸時代から子育て・子授かりの神として信仰を集めている鬼子母神堂は寛文6年(1666年)に加賀 前田利常の三女満姫(当時は藩主浅野光政の妻)が寄進建立とされている。前田藩には第11代将軍家斉の息女が輿入りしているので、将軍のお成りもあり歴史と格式を感じさせます。境内に大黒堂があり、お堂前では熱心な信者が法華経を唱えていました。
大黒堂に祀られる大黒天は鬼子母神の夫神に当たるとのことです。
     
正面を出て道なりに行くと、大鳥神社へ。

大鳥神社(恵比寿神) ご利益 招福・繁栄
正徳2年(1712年)疱瘡除けの神として創始、以来雑司ヶ谷一帯の氏神として崇敬されている。江戸時代から続く酉の市は雑司ヶ谷の風物詩のひとつです。本堂前のお賽銭箱は茶色の陶器製の大袋の形でした。
     
前を走る都電荒川線を渡り、直進ですが、右手に水車が回る昔の農家の光景がある。左手奥にはサンシャイン60のビルと変わりゆく大鳥神社周辺に昔の風景を残そうと篤志家が造ったとのこと。

弦巻通りに出て、少し行き左折し、清立寺へ。

清立寺(毘沙門天) ご利益 富貴・擁護
寛喜年間(1229〜89年)真言宗 清龍寺として創立。のちに村を救った厄病から雲水が日蓮聖人像を残したことから日蓮宗 清立寺と改めたとのこと。雨乞いと皮膚病の祈願寺として尊崇された。
毘沙門天王は北側に住み、北方を守護する四天王のひとりで多聞天とも言うそうです。
[参考:他の四天王は東方 持国王、西方 広目王、南方 増長天]隣は夏目漱石ほか多くの著名人、芸能人が眠る雑司ヶ谷霊園。
右折して弦巻通りに戻り左折し、日本女子大の学生寮を通過。
弦巻通りが豊島区と文京区の区境で右側は文京区目白台です。

三角寛の旧居の高級料亭「寛」、菊池寛旧宅跡を過ぎると清土へ。

清土出現所 [清土鬼子母神] (吉祥天) ご利益 安寧・息災
雑司ヶ谷鬼子母神に祀られている鬼子母神尊像はこの清土の地から出土したそうです。地元では清土鬼子母神と呼んでいます。
吉祥天は鬼子母神の娘神とのこと。弦巻通りに戻ると前は護国寺です。
都心の喧騒を後にのんびりと小道を約5km歩く七福神です。いずれの七福神は本殿とは別にあり、わかりやすいです。
ゴール最寄駅は東京メトロ護国寺駅です。

4. 下町の八福神めぐりパンフレットをご覧ください)
下町の名につられて、江東区・中央区の下町を歩きました。
上野駅パンダ口を降りて浅草通り沿いに行き下谷神社へ。

下谷神社 ご利益「家内安全」
古くは下谷稲荷と呼ばれていたそうです。都営銀座線「稲荷町駅」の名もこれに由来するとのこと。社殿の天井絵は横山大観作。
1798年初代三笑亭可楽が境内で寄席を開催したことから、「寄席発祥の地」との石碑がありました。
 
稲荷町交差点を左折、清州橋通りを行き、東京メトロ入谷駅近くにあり。

  
小野照崎神社 ご利益「学問芸能」
日本初の足利学校を創始し、歌人としても名高い平安前期の学者小野篁を祀る。仁寿2年(852年)小野篁がその風光を愛した上野忍ケ岡に創建され、その後寛永寺の造立に伴い、現地に移転とのこと。
   
柳通りを右折し、昭和通りを横断すると、ひときわ華やかな神社がありました。

鷲神社(おおとりじんじゃ) ご利益「商賣繁盛」
浅草のお酉さま・浅草名所(などころ)七福神の寿老人です。日本武尊が東征に際し武運を祈願し、凱旋したとされている。縁起物の熊手の由来はその際に熊手を待つ社前の松にかけたと伝えられている。

花園公園から吉原大門へ。遊郭で一夜を過ごした客がここで遊郭を振り返ったと言われる「見返りの柳」を通過、橋場交番前を右折すると到着。

今戸神社 ご利益「縁結び」
源頼義・義家親子が安部氏征討の途中、京都の石清水八幡宮を勧請して創建と伝わる。今戸焼の招き猫で有名な浅草名所七福神の福禄寿。ご利益を求めて、あふれんばかりにつるされた絵馬の形は円形でした。

真正面に東京スカイツリーに見える隅田公園から隅田川テラスを歩く。
吾妻橋、駒形橋、厩橋から蔵前通りを横切り到着。

第六天榊神社 ご利益「健康長寿」
景行天皇の時代に日本武尊が東夷征伐の折に創祀と言われる。その後蔵前・柳橋と移り、昭和3年に現在の地に。
江戸中期からの花街・今も船宿があり昔の面影が残る柳橋、両国橋西を過ぎて中央区に入り浜町公園を右折、隅田川から離れる。
日本橋 下町の散歩道「甘酒横丁」を通り、東京メトロ人形町駅から行 列のできる日本橋の老舗を通過。谷崎潤一郎の出生地の碑がありました。

小網神社 ご利益「強運厄除」
伊勢神宮を本宮とし、文政元年(1466年)に鎮座の強運厄払の総本社。
こんなご利益の神様は初めて。太田道灌も崇敬し、社地を奉じ、社殿を造営、その名を付けたと言われる。戦時下ではこの「強運厄払守」を奉戴した多くが無事帰ってきたそうだ。東京の銭洗い辨天とも呼ばれ小さな社前はご利益を求めて人の列。日本橋七福神の福禄寿です。

水天宮 ご利益「安産子授け」
安産祈願と言えば水天宮と言われるほど古くから圧倒的な人気を集めている。寅次郎も妻の安産祈願で2回訪れた地です。水天宮は文政元年(1818年)有馬氏の江戸藩邸に領地・久留米の水天宮を観請し分霊社を祀ったもので始めは庶民の参拝は許されず、毎月5日の縁日に限り開放されたとのこと。日本橋七福神の弁財天です。
日本橋蠣殻町からまた隅田川に出て永代橋脇を通過、中央大橋から高層マンションが立ち並びすっかり景色が変わっている石川島から佃島へ。

  
住吉神社 ご利益「交通安全」
佃島は徳川家康がむかし恩義を尽くしてくれた摂州(現大阪市)佃村の漁師34人を江戸に呼び寄せ、鉄砲洲の東にあった干潟を埋め立てて出来たそうです。佃島の漁師たちが郷里の住吉神社を勧請したのが始まりで、以来漁業や航海安全の神として長く信仰されている。家康は漁師たちに江戸湾での白魚漁の許可を与え、魚市場や佃煮の始まりの地です。

約16kmの福めぐりのゴールの最寄駅は東京メトロ月島駅です。

5. 新宿山ノ手七福神めぐりパンフレット右パンフレット左をご覧ください)
JRの駅に置いてあったパンフレットの山ノ手・副都心新宿の七福神の名につられて歩きました。
飯田橋駅B3出口からおしゃれなお店が並ぶ神楽坂通りを上ります。左手に朱塗りの建物の善国寺が見えてきます。

鎮護山善国寺 (毘沙門天)長く功名を全うする
インド出身。福徳・知恵・美貌・力・能弁など十種のご利益があると言われている。毘沙門とは多聞と訳し多くの人の願いを聞いて叶えさせると言います。徳川家康を開祖としているので朱色が使用されていると知りました。木彫りの毘沙門さまは加藤清正の守り仏だったとのこと。付近は明治時代には花街で夏目漱石、田山花袋、尾崎紅葉などの文豪たちが夜な夜な集う山手一の繁華街として名を高めた。

神楽坂上交差点を左折大久保通りを直進。市谷柳町交差点先の左手。

    
大乗山経王寺 (大黒天) 自らおの有を守る
インド出身。難民の救済をかって出た心の優しい神様。全身の色が黒く、大きな福徳を授けるので、大黒天と呼ばれています。
慶長3年(1598年)に現在地に安置され、霊感も多く大願成就のご利益があると庶民の間で親しまれています。また度重なる火災に焼け残り「火伏大黒」として崇敬されています。

若松町交差点を左折、職安通り(魔王通り)を若松河田、団子坂を通過し、抜弁天の交差点へ。ここに三つの福神があります。

厳島神社 (辨財天) 幽貞の操
白河天王の御代、応神3年(1086年)源義家が後三年の役の後、奥州制圧のため、この地に立ち寄り富士を望み、安芸の厳島神社に 勝利を祈願、奥州鎮圧の帰りに神社を建てたと伝えられている。江戸時代に参道の南北が通り抜けられる。また苦難を抜けたとの由来から「抜弁天」と呼ばれた。神道では古事記に出てくる神。七福神唯一の女性。水の神で五穀豊穣の守り神と言われています。
江戸時代は富貴の神・江戸六辨天のひとつとして庶民の人気を高めました。徳川綱吉の頃は「生類憐みの令」でこの付近に25,000匹の大きな犬小屋があったそうです。

3つの福神の場所の地図が掲示してあります。前の道を渡り、左へ少し行き、すぐの脇道を右に入る。

大久保山永福寺 (福禄寿) 君子の間に学ぶ
中国出身。南極星の化身で短身・長頭の姿をしています年齢も数千年を超すほど保持していると言われていることから長寿の神として親しまれています。

抜弁天通りに戻り、交差点を渡り、少し左へ行き「久左衛門坂」の表示の前が法善寺の入り口です。

春時山法善寺 (寿老人) 名刹を避け天季を全うす
中国出身。福禄寿と似た者同士で寿老人は老人星の化身です。
不老長寿の霊薬を所持していることからこちらも長寿の神として親しまれています。

ここからはビルが建つ新宿駅周辺に向かいます。新宿文化センター通りを行き、新宿六丁目東に出て、明治通りを左折して新宿二丁目で新宿通りを左折すると左側にあります。角に交番あり。新宿御苑の近くです。

霞関山太宗寺 (布袋和尚) 遊戯三昧
中国出身。実在した人物です。常に布も袋を背負いこの中に福財が入っていたと言われています。笑顔を浮かべた円満な容姿をしており親しまれています。内藤新宿にある太宗寺の本堂は近代風ですが、境内には文化財が多く残るお寺でびっくりです。境内の右手には江戸六地蔵の一つで甲州街道の旅人を守った銅造地蔵菩薩。隣には江戸最大と言われる高さ5.5mの「閻魔大王像」、閻魔大王は地蔵菩薩の化身で非行防止のご利益もあるとのこと。
閻魔大王に仕え、三途の川を渡る亡者から衣服を剥ぎ取り、罪の軽重を計るとされ、手に衣を持った「奪衣婆像」。衣をはぎとることから内藤新宿の妓楼の商売神として信仰されました。
反対側にある布袋和尚のいるお堂の隣には願かけの返礼に塩をかけられ真っ白になった「塩かけ地蔵」があります。
  
明治通りに戻り、東新宿交差点を左折、職安通りを行き、鬼王神社前の交差点を左折。

稲荷鬼王神社 (恵比寿神) 権勢を貧らず
ここは歌舞伎町。日本古来の神様です。大国主命の子息の事代主命が恵比寿神であると言われている。大久保村の氏神様。古来より福を表す「鯛」と福を釣るという「釣竿」を手に持ち、海の守護と商売繁盛の神様として親しまれています。
鬼のイメージは悪と思いがちですが、古来より鬼は神であり、力の象徴とされ、災難を排除しています。鬼の付く神社は他にもありますが、鬼の王様は全国でここだけだそうです。
節分はもちろん「福は内、鬼は内」です。

新宿区は電柱などの住所表示が少なくウロウロしましたが、花街から繁華街まで移り変わる街並みを感じた約10kmのコースです。ビルに囲まれていましたが、昔の姿を残していた七福神がありました。
最寄駅はJR新大久保駅又は新宿駅です。新大久保駅まで歩くとすぐにハングル文字にあふれ韓国の街を歩いている錯覚でした。

       いただいた沢山の福をどのように活かせるのか楽しみです。
       持ち切れずに途中で落としてきた福もありそうですが・・・
                       平野 寅次郎 拝