寄り道さん歩

 寅さん歩 その4−1

大江戸 福めぐり (谷中・隅田川七福神)


平野武宏

 ウォーキングの世界での年初の例会は七福神めぐりでスタートします。
東京に移住した寅次郎、大江戸各地の福をいただこうと歩き回りました。
東京には31の七福神めぐりがあるそうですが、今年は5つの七福神をめぐり、沢山の福をいただきました。「あとは本人の行い次第だ」と神様たちに言われた様な気がしました。長くなるので2回に分け掲載します。

七福神信仰は室町時代から始まったとされています。七つの福神は福財、長命、商売繁盛、学問、人徳など現世ご利益をもたらしてくれる神様と解釈されており、「七福神を参拝すると七つの災難が除かれ、七つの幸福を授かる」と言われています。
江戸では寛政年間(1789~1801)から町人の間で流行り始め、江戸各地で七福神めぐりが盛んに行われたそうです。また上野寛永寺 天海僧正の進言で徳川家康が祭祀したものが広まったとも言われています。
七福神のうち唯一純粋な日本の神様は「恵比寿様」だけで、あとは中国・インドにいた神様だと知りました。いずれにしても病気になっても高価な医者の治療は受けられない江戸庶民にとってはまさに神頼みや神仏詣の名のもとに日常生活をちょっと離れて遠出がてら歩き回ることが江戸っ子の中で盛んだったようです。各寺社やご利益の説明は各寺社のパンフレットや案内板から引用しました。それぞれ特色ある表現になっていて面白いです。
  

1.谷中七福神めぐり(パンフレットご覧ください)   
日本最古の七福神だそうです。大人の休日倶楽部の雑誌で台東区観光ボランティアによる案内があると知り、申し込みました。
(原則は10日前申込みで2人以上だそうです)
田端駅に参加者8名集合、ボランティアの方2名で2組に分かれてスタート。 田端駅前の「北区田端文士村記念館」前を左折して到着。
   
東覚寺(福禄寿)   ご利益「人望」
手前にある「赤紙仁王尊」にびっくり。名前の通り2体の仁王像は赤い紙が貼られて埋もれていました。自分の体の悪い部分に赤紙を張って治癒をお願いするとのこと。脇には草鞋がたくさんつるしてありました。治った人がお礼で奉納し、仁王様がこれをはいて夜、治しに出かけるとのこと。ご開帳中のご本尊と未公開の裏庭を拝見できました。ここは徳川歴代将軍の祈願所のお寺だったとのこと。
下町の路地を歩いて行くと青雲寺に到着。
     
青雲寺(恵比寿様)  ご利益「正直」
境内には滝沢馬琴の筆塚など江戸の文人の碑がありました。しだれ桜があり、江戸時代には花見寺として親しまれたとのこと。西日暮里駅の近くです。
布袋様の大きな童画が描かれた修性院の白い塀が見えてくる。なんとも親しみの湧く絵だ。

      
修性院(布袋様)   ご利益「大量」
ご本尊さまにも親しみが湧く。寅次郎と同じ体型によるものなのでしょうか? ここも江戸時代の日暮らしの里の花見寺。

修性院先の富士見坂を上る。坂の入り口の地面や街灯に富士山の形があり。東京で富士山が見える唯一の坂とのこと。いずれビル建設で見えなくなるようだ。富士見坂を上がって左折して寄り道すると、西日暮里公園 道灌山で「桃 桜 鯛より 酒の肴には 見所多し 日暮の里」との碑がありました。秋には虫の音を聞いた名所とのこと。
近くの「谷中銀座」に立ち寄り、名物メンチをいただき「ちい散歩」を再現。幕末に彰義隊が隠れていて銃弾跡が残る門がある「経王寺」を通り、右手には谷中霊園があります。東京ドーム6つ分の敷地で桜の名所とのこと。

     
天王寺(毘沙門天)  ご利益「威光」
創建は鎌倉時代。元禄の時に日蓮宗の寺から廃寺となり、天台宗に改宗させられ、寛永寺の末寺として復興。幕末には彰義隊の分営がおかれ戦火に会い、明治政府からは墓地用地として大半の用地を没収(これが今の谷中霊園に)、シンボルだった五重塔も昭和32年心中者の放火で焼失という悲運を重ねながら、なお慄然と建つ名刹と知りました。
毘沙門天像は伝教大師作と伝わっています。毘沙門堂は焼失した谷中五重塔の材木(ケヤキ)を使ったとのこと。「富くじ」発祥の地の寺です。江戸は火事が多く資金集めに富くじが売られたとのことです。日暮里駅の近くです。
横山大観、長谷川一夫、渋沢栄一など多くの著名人が眠る谷中霊園の中を抜け、外に出て、突きあたりの長安寺へ。

   
長安寺(寿老人)    ご利益「長寿」
ご本尊は高い場所に祀られていて、黒ずんでいましたが、最古のものとのこと。長寿の象徴と言われる鹿の角も見えました。本堂内の龍の彫刻は見事でした。
お寺が多い路地を行く。約70あるお寺の半数が日蓮宗のお寺とのこと。お寺はいざという時に軍勢を集め、街道筋の防御にもなると教えられた。

   
護国院(大黒天)   ご利益「富財」
三代将軍 徳川家光からの寄進の大黒天の掛け軸が見られました。
後ろは東京芸術大学の校舎が建っています。

上野動物園下、森鴎外旧邸跡(現水月ホテル鴎外荘)、上野精養軒下を通り不忍の池へ。

     
不忍池辨天堂(辨財天)  ご利益「愛敬」
東の叡山 寛永寺を建てた天海僧正が寛政年間(1624〜44年)の初、琵琶湖に見立てた池の中に竹生島になぞらえて小島を築造させ、そこにお堂を建て、辨財天を祀ったとのこと。江戸の昔から町民に愛されてきた憩いの場所です。本堂の龍の天井絵も見どころです。
弁天様というと美人の代名詞とされていますが、当堂のご本尊は「八臂大辨天」といい、様相が全く異なり、八つの武器や法具を持つ姿で、大悲救済、大智息災のほか福徳開運、寿命長寿、名誉弁舌音楽芸能など神通力が多いそうです。さらに9月の二の巳に3年間お参りをすると金運の霊運があらただとのこと。
  

各寺社のご開帳期間(1月1日〜1月10日)だったので各ご本尊の尊顔を見ることが出来、谷中の下町・寺町を江戸のゆったりとした「時」を感じながら2時間かけて歩きました。
江戸時代の1ときは現在の2時間だそうです。せっかちの寅次郎反省。
ゴール最寄駅は上野駅。近くのアメ横に立ち寄り、昼食と買い物を楽しみました。  続く