紀行

 寅さん歩 その1

豊島区の区境を歩く 


平野武宏

1.豊島区の全体地図
2.新大塚駅付近 3.北区・文京区との境
4.北区との境 5.板橋区との境
6.練馬区との境 7.高田橋付近
8.新宿区との境 神田川

2012年(平成24年)8月 生まれ育った湘南の地を離れた湘南の寅次郎、終の棲家を娘の近くの東京都豊島区北大塚としました。葛飾柴又の寅さんと同じ東京都民です。
 地元を知ろうと新天地の豊島区を歩きまわるとすぐに隣の区に入ってしまいました。
地図(写真1参照)を見ると豊島区は鳥が下を向いて羽を広げたよう形をしていて、文京区、北区、板橋区、練馬区、中野区、新宿区の6区と境を接していました。転入あいさつ代わりに区境を歩いてみようと決め、地井武男の「ちい散歩」や加山雄三の「若大将ゆうゆう散歩」に対抗して「寅さん歩」と名づけましたが、残念ながらTVカメラは同行していません。

 区境は川や道路で決められた歴史があるそうでが、現在、豊島区は南の区境を神田川が流れている以外、川は一本もありません。でも豊島区の旧河川地図を見ると谷端川、弦巻川、水窪川、谷戸川が流れ、千川上水も敷かれていました。現在は暗渠化して道路になっています。暗渠化では曲がりくねった川が直線化した道路になったため区境が道路の両側に残っているそうです。ちなみに「区境を歩く」は今、隠れたブームだそうです。
スタート・ゴールは東京メトロ丸ノ内線新大塚駅、反時計回りで下を向いた鳥の形の左羽の部分から上り、新大塚駅にゴールの一筆書きのコースで3回に分けて歩きました。距離・時間は寄り道を含めています。

 
第1回 新大塚駅〜駒込駅付近 (文京区との境)約5km
 JR大塚駅から歩いて約8分の東京メトロ丸ノ内線新大塚駅から地図を片手に13時25分スタート。新大塚駅はすぐに文京区と隣接しています。(写真2参照)町名も南大塚は豊島区、大塚は文京区とややこしい。地図と電柱の表示や上に表示の区看板が頼りです。文京区はこのほかに筒状の区境表示物がありました。都立大塚病院内に区境があるようです。豊島区を左側にして歩きましたが、南大塚(豊島区)と千石(文京区)付近は入り組んでいて、道も狭く、いつの間にか文京区の中を歩いていることに気付き戻る始末。
広い白山通りに出る。左に行けばJR巣鴨駅。地図を持ってウロウロしているとお店のおばさんから「何を探しているの?」と声がかかる。見知らぬ地でのありがたいコミニュケーションです。お屋敷の並ぶ右前方には国の名勝「六義園」の煉瓦塀が見えている。六義園は文京区で豊島区境は山手線の線路をまたいで行き、JR駒込駅付近へ出る。町名の駒込は豊島区、本駒込は文京区とこれまたややこしい。
15時近くなったので今日はここまでとし、近くの染井霊園に眠る義父母に墓参、高岩寺とげぬき地蔵尊の洗い観音様の足に水をかけて寅さん歩の完歩をお願いして帰宅。
 寅次郎の新居は高岩寺とげぬき地蔵尊から歩いて約10分です。

 
第2回 駒込駅付近〜目白駅付近 
  (文京区・北区・板橋区・練馬区・中野区・新宿区との境)約22km
 快晴で気持ち良い天気なので8時30分JR駒込駅(大塚駅からは電車で4分)からスタート。区境を探す要領も慣れてきました。
文京区との境はここでも本郷通りを挟んで行ったり来たりと入り組んでいる。
本郷通りは江戸時代には御成り道と呼ばれ、日光東照宮の家康のお墓参りの道として大名行列でにぎわった場所とのこと。

駒込1丁目(豊島区)・本駒込五丁目(文京区)・田端三丁目(北区)の三区の境は三叉路で路地裏みたいな所で表示はありませんでした。(写真3参照)向かい合った家の方々に異なった区民との意識はあるのでしょうか?アザレア通りを行くと又JR駒込駅東口に出る。ここが北区との境。豊島区の通りはさつき通り(駒込銀座)。さつきは豊島区の区の花。本郷通りに出て霜降銀座を横目に駒込駅方面に向かい女子栄養大学まで戻る。女子栄養大学の裏手が北区との境。その先の区境は狭い小道、両区の家の軒が触れ合う距離だ。(写真4参照)広い道に出ると、北区側は西ケ原四丁目の西ケ原みんなの広場で新設されたばかりのきれいな公園。豊島区側は高村光太郎、二葉亭四迷ほか著名人が眠る染井霊園。また狭い路地に入り、出たところはお岩通りと表示あり。

都電荒川線の線路を渡ったら正面に妙行寺。四谷怪談お岩様のお墓と彫った石がお出迎え。寄り道でお参りする。なんとお岩様のお墓の手前には浅野家のお墓(ご正室達の)があり、忠臣蔵の浅野内匠頭のご正室も眠っている。でもたしかご正室のお墓はご主人とともに泉岳寺にあり、以前お参りした。どうやらここは供養塔らしい。お寺は明治42年に四谷から移転とのことなので、四谷でもお岩様とご一緒と思われる。案内板には「お岩様の霊は妙行寺ご上人の法華経の功徳で一切の因縁が取り除かれ、今では塔婆を掲げて熱心に祈ると必ず願いが成就すると多くの信者が語っている」とあり。また寺の入口にはウナギ供養塔もありウナギが大好物な寅次郎、しっかりと手を合わせ供養した。

荒川線の線路沿いが北区との区境。都電西ケ原四丁目停留場の脇の踏切は遮断機がなく信号で電車が停まってくれる下町らしい光景。西巣鴨四丁目の隣は板橋区の滝野川一丁目。区境を探していると「何探しているの?」とおばさんから声をかけられる。この辺りは高速中央環状線の高架ができて境がよくわからない。道路の下は都営三田線の西巣鴨駅。明治通りとの交差点からは白山通りは中山道と表示されている。大正大学や千川上水公園(江戸五上水の一つで江戸の町の北東側に供給していた千川上水調整跡)を通過。明治通りから上池袋四丁目(豊島区)・滝野川七丁目(北区)の区境道を行き、JR埼京線板橋駅へ出る。ここでの寄り道は駅東口(北区)にある近藤勇の墓所。流山で捕えられてこの近くで処刑され、首は京に運ばれ、胴体がここに埋葬されたとのこと。何故か五稜郭で戦死した土方歳三のお墓も並んであり。粗末な近藤勇の墓所に生き残った新撰組隊士 永倉新八が供養塔を建てたとのこと。多くの新撰組ファンによると思われるお花がたくさん供えられていました。

板橋駅は豊島区、北区、板橋区の区境にあり、駅近くのマンションは建物の中を区境が通過しているとのこと。少し行った東武東上線 下板橋駅からは板橋区との区境となる谷端川北緑道と続く。(写真5参照)谷端川は千川からの分水が要町の粟島神社の弁天池と合流して豊島区内から北区を流れ、豊島区に戻り、文京区から神田川にそそぐ豊島区最長の川で、現在は暗渠化し、北区までは緑道となっています。多くの橋がありその名前が表示されていましたが、地域の特徴や由来にちなんだ名前で興味深かったです。近くに前田という村があった場所の橋は前田橋、その上流の橋は上前田橋など。橋は終点の神田川合流まで67が確認されていると郷土史の資料に書かれてありました。緑道は高速五号池袋線と山手通りの脇を延々と続き、花壇や彫刻もあり、ほっとする散歩道です。

池袋三丁目の南緑道の手前を右折、板橋区との区境は住宅や畑の光景が続き、前を見ると「これより練馬区」の立看板がある。(写真6参照)ここが豊島区・板橋区・練馬区の区境のようだ。ここまで来ると高い建物はなく畑が多くあり都会の風景ではない。
西武池袋線を横切ると南長崎。ここでは板橋区との境が終わり、中野区との境が入り込んでいる。中野区とも境を接しているは知らなかった。
広い目白通りに出ると今度は新宿区との境。また都会の風景が戻る。目白通りが区境と思ったら南長崎四丁目(豊島区)は目白通りをまたいでいる。都営大江戸線 落合南長崎駅から、また目白通りが新宿区との区境となる。目白五丁目からは今度は新宿区下落合三丁目が入り込んでいる。昔の道が境になったと推測する。目白の森から目白駅裏付近(豊島区)が今日のゴール。14時15分、地図の鳥の尻尾から右の羽部分まで、よく歩きました。

 
第3回 目白駅〜新大塚駅 (新宿区との境)約12km
いよいよ地図の鳥の頭から左の羽部分に戻る区境一筆書きの最終コース。JR大塚駅から電車で5分のJR目白駅へ、目白夫人がお茶をしている駅脇のお店のモーニングで腹ごしらえして11時スタート。すぐに山手線のガードをくぐると、切手博物館の建物・学習院下の信号。上は皇族も学ぶ学習院大学の敷地だ。新目白通りに出て、又山手線をくぐり、西武新宿線の踏切を越えると、堀部安兵衛と早稲田大学で知られる高田馬場駅近くに出る。町名の高田馬場は新宿区、高田は豊島区。神田川が区境のようだが例によって川を入ったり出たりしているので歩くのは行ったり来たりする。

明治通りとの交差点の高田橋では都電荒川線と出会う。(写真7参照)自動車が行きかう中での1両編成のチンチン電車は外国を思わせる光景。ここからはまた神田川が区境。豊島区制50周年を記念し、区民の憩いの場所として整備された神田川桜並木が続く。(写真8参照)案内板によると延べ830m、染井吉野桜77本、つつじ880本、やまぶき230本。花の時期にもう一度来てみたい見事な散歩道だ。やまぶきは太田道灌にちなんで植えられているようだ。ちなみに今年(2012年)は豊島区制80周年です。
途中に隠れ場のような中華料理店を見つけ12時なのでランチとする。

案内板の区境を見ると川の向う・真ん中・川のこちらと行ったり来たりしている。昔の流れなのかと推測する。都電荒川線はこの近くの早稲田停留場が終点。早稲田大学は停留場からすぐだが、すでに来ているので寄り道せず。
高田一丁目の新江戸川公園手前で文京区となる。新江戸川公園は江戸中期の旗本屋敷で、その後は細川家の泉水を利用した回遊式庭園。園内ではお散歩のおばさまたちがお弁当を食べていた。新宿区との境の目白台ヘは登り坂。富士見坂の名もあり昔は富士山が見えたらしいが、今は新宿の高層ビル群が見える。不忍通りを横断すると雑司ヶ谷二丁目で豊島区だ。高速5号池袋線の高架が見えると左側は雑司ヶ谷霊園。雑司ヶ谷霊園には夏目漱石、永井荷風、泉鏡花、竹久夢二など多くの著名人が眠っている。ここもすでにお墓めぐりしたので寄り道せず。

池袋駅南口にある元池袋史跡公園(丸池があった)を水源にした弦巻川が清土鬼子母神(雑司ヶ谷鬼子母神の出現の地)あたりでは文京区との区境となっていて暗渠で直線の道になったので、入り組んだ複雑な区境となっている。菊池寛旧邸跡を過ぎると、前方は護国寺の裏。護国寺は徳川綱吉が生母 桂昌院の発願で建立。ここもすでに来ている場所なので寄り道せず。
自転車のご婦人に「椎名町に行きたいが」と尋ねられるが、椎名町はまだ行っていず、正確には答えられず残念。
前方にサンシャイン60のビルが見え、ゴールは近いとほっとする。豊島区の東池袋五丁目と文京区大塚六丁目の境は路地が入り組む。道で追い越したおばあさんと又出会い、お互いに照れ笑い。おばあさん、この人は何をしているのと思ったことだろう。下町の商店が並ぶ道から坂を上がり、前方を見ると丸ノ内線新大塚の駅があった。
13時30分豊島区境一筆書きのゴール。

6つの区境は異なった顔を持ち、歴史を多く感じさせてくれました。また区境に立って豊島区との位置関係を大いに学ぶことができ、転入のご挨拶が出来たと大満足の寅次郎でした。
翌朝のお散歩で高岩寺とげぬき地蔵尊・洗い観音様に無事完歩のお礼参りをしてきました。
                                                            
平野 寅次郎 拝