小津和紙

 

    川澄 武雄
 
和紙は人の心をやわらげ
暮らしの場をなごませ
そしてはるか飛鳥の時代より
日本人が慈しんできた紙

文字をしるし 物をつつみ
風をさえぎり 光をやわらげ
丈夫で長持ち そして優美・・                 
          −小津和紙

http://es.isis.ne.jp/fuzisawa_editor/ep_shota_images/ep_shota_image080701_01.jpg
  
久しぶりに日本橋を歩くと、街の雰囲気が大きく変わっている。街が
明るく すっきりして、華やぎが感じられるのだ。若者が増えたのか?
高層ビルが建ち、大小の通りがきれいに化粧されている。
 
日本橋本町(旧大伝馬町)あたりで[一六三五年創業 小津和紙]と
看板に描かれたオフィスと出あった。ガラス越しに見ると店舗らしい。
我ながらちょっと気恥ずかしいな・・と思ったが勇を奮って内に入った。
4、5人の女性が小部屋で紙をすいておられた。
 
http://es.isis.ne.jp/fuzisawa_editor/ep_shota_images/ep_shota_image080701_02.jpg
  
店内は明るく広々としている。紙と木であふれた素敵な世界だ。
気のせいか空気が清らかで、物音がほとんどしない。女性客の
楽しそうな笑い声が時折聞こえてくる。
大きな引出しが並んでいる。そっと手前に引いて見ると、美しい大きな
各地の和紙が何枚も重ねて納められている。紙で作られた小物や
毛筆などの展示も多い。老舗の紙の大問屋(小売部)とはこういう
ものかと息を詰めて思った。
  
http://es.isis.ne.jp/fuzisawa_editor/ep_shota_images/ep_shota_image080701_03.jpg
  
有難いことに、2階に史料館がある。創業350年、江戸開府以来の
紙商の文書など、その歴史が創業の地で展示されている。
ほかに2階では小津文化教室があり、書や水彩画、絵手紙など
多くの講座が開かれている。

 
http://es.isis.ne.jp/fuzisawa_editor/ep_shota_images/ep_shota_image080701_04.jpg
史料館に広重の「東都大伝馬街繁栄之図」が懸かっている。当時
大伝馬町は木綿問屋を中心に、江戸でも屈指の商業地であった。
間口の広い大店が軒を連ね、紺色の暖簾や幕を下げている風景は壮観だ。
通りを往く人々に見られる賑わいぶりがたのしい。

http://es.isis.ne.jp/fuzisawa_editor/ep_shota_images/ep_shota_image080701_05.jpg 

小津家の紋 [ うろこ久 ]
  
よく知られているように、徳川家康は荒涼とした江戸を開発するにあたり
諸国から商人や職人を多く集めて江戸に定住させ街を築いた。なかでも
日本橋は幕府にとり、とても大事な所で、三河、伊勢、近江商人らを
優先して住まわせたという。南北の町奉行もここに置いた。
  
小津家はもともと伊勢国、商都松阪の木綿商である。小津家といっても
数多く 松阪では小津党、小津50家と呼ばれたほどらしい。松阪の
木綿商らは伊勢商人と呼ばれた。なかでも三井高利は豪商で、越後屋と
して江戸で名を馳せていた。
紙商としての小津は1653(承応2)年、小津清左衛門長弘の江戸での
開業にさかのぼる。大変篤実な人であったらしい。以降、江戸の興隆と
産業や文化の発展に伴い 商いは順調に伸びた。
そして現在も小津産業株式会社は各地の和紙を取り扱うほか、メディカルや
エレクトロニクス向けに、業務用不織布の有力な卸商である。
   

http://es.isis.ne.jp/fuzisawa_editor/ep_shota_images/ep_shota_image080701_06.jpg
   
「本居宣長六十一歳自画自賛像」
(本居宣長記念館より リンク許諾済)
http://www.norinagakinenkan.com/
  
紙商小津の一族に本居宣長がいる。宣長は算用に興味が無く、京都に
上って医者になった。72歳で没するまで医家を業としている。宣長は
若年より古典や漢籍に関心を寄せ、医業の傍ら 源氏物語や古事記など
王朝物や国学を研究した。生涯に詠んだ歌は一万首といわれる。のちに
「古事記伝」などを著わし以降の国学に大きく道を拓いた。

日本橋は気心の休まる、不思議なところだ。江戸期を通じて商業が盛ん
だったせいで、人々の気持を安らげる商都特有の雰囲気があるのだろうか。
越後屋、山本屋・・今に至るも大店が暖簾を誇っている。
日本橋は五街道の大元で、水運も開かれ人や車馬、船の往来で賑わった。
日本橋のたもとには魚河岸があったし、日本橋人形町あたりには遊郭の
旧吉原があったはずだ。(いずれも明暦の大火で移転した)。
諸国から人や物産が集まる事によって磨かれた江戸文化の素晴らしさは
人々の心意気によって裏打ちされているから、いつまでもみずみずしさを
失わない。小津和紙店の清雅な空気のなかにいると、江戸の人々の
優しい心遣いが伝わって来ている様に思えた。

http://www.ozuwashi.net/