9月17日例会
ゆっくりウォーク 西俣野から石川の森へ
   10時丁度、六会駅前公園出発。467号線の陸橋でカウント、今日の参加者は161名、うち一般参加者38名、初参加の84歳の女性もおられた。467号線沿いの居酒屋の角を曲がり、亀井野の住宅地を抜け、今度は403号線(菖蒲沢戸塚線)を横断すると雲晶寺というお寺に出た。山門には葵の紋、徳川幕府から寺領九石を賜ったことから葵の紋が刻まれているという。九石は90斗、昔、一人一年1斗の米を食べたというから90人分の食い扶持である。

   雲晶寺の境内を抜けると、景色が一転し広大な日大の農場(実験圃場)牧草地が広がる。

@

A

B

C

D

E
道なりに進み杉林の中の坂を下ると、大きな建物、築?何年の六会マンション、境川右岸のサイクリングロードに出る。マンション前の川岸にはキバナコスモスの花が咲き乱れていた。時折、ウォーカーと行き合う以外、安全な道ではあるが、木陰が全くないのが難点である。例年なればもう太陽もやさしい筈だが、なにしろ今年の残暑は厳しいザンショ。左手遠方にドリームランドのタワー、右手は一面田圃である。目印の廃車がある所から、サイクリングロードを下りて舗装された農道を歩く。和澤さんが稲の穂を手にし稔り具合を確かめる。このところのお天気で作柄も回復したであろうか。

   403号線のガードを潜った先の田圃の畦道には彼岸花が咲いていた。彼岸花は少し早いかなぁ。百日紅がまだ満開であるというのに。農道の行き止まりを右に曲がり、こんもりとした林が閻魔堂跡、木陰での休憩である。一角に「小栗墓塔」があった。西俣野には小栗判官伝説に纏わる史跡など多い。休憩の後、一列になって水路に沿って歩くと、右手に瞽女淵の碑があった。昔、瞽女(ごぜ)が境川の淵で溺れたという。盲目の女芸人が三味線を手に唄と説教節を語り歩いた。レパートリーには「小栗判官と照手姫」の物語もあったかもしれない。

   再び農道に入る。点在するビニールハウス、中を覗くと胡瓜、トマトなどの野菜ばかりでなく、無花果までもがハウス栽培されている。20分ほどで神明神社に到着。水補給のための小休止、この神社の脇の坂を登るための体力回復のためであった。ゆっくりウォークにしては本日一番の難所であったが、森の中の道であるのが救いであった。登りつめた所が俣野小学校、ここから403号線を南へ。横須賀水道道路と交差する立石2丁目交差点の先、向かい側の緑地が県体育センター、ここが昼食場所、11時50分着であった。この体育センターの敷地は元ゴルフ場であったという。洋風建築のクラブハウスが残り、かってこの地がゴルフ場であったことの名残を留めていた。

   予定より15分早く、12時45分発、浅田リーダーは、「この先、善行駅前を通るのでのくれぐれも無理のないように」とご案内したのだが、お帰りなった方は約1名であった。1時間のお休みで元気を取り戻したのか、84歳の女性も歩いておられる。ゆいのはなという大きな温室のある花屋さん、小田急線のガードを潜り善行の住宅地に入る。道なりに進むこと暫し中原公園の角を右折、路地の行き止まりが善行中学。学校横を入ると、畑地、ごちゃごちゃ色々なものが栽培されていると思ったら市民農園、前面は森であった。この森が本日目玉の石川の森であった。鬱蒼として昼直暗き杉林、太陽光線は避けられたが風は通らない。「私、六会に住んでいるのですが、近くにこんないい所があるなんて知りませんでした」と今まで無口だった初参加の女性が言った。
 
   10分ほどで石川の森を抜けると、再びお天道様がお待ちかね。天神町1丁目の住宅地、住宅地の中のウォークは家々のお花を愛でるに限る。住宅地内の三角公園で解散式、13時45分頃であった。今日のお天気は日中30度までになったが、84歳の女性も無事完歩、故障者が一人も出なかったのがなによりのことであった。                       (9・19 八柳

)写真はお花を中心に撮影しました。(写真をクリックすると拡大してご覧になれます
  @ 広大な日大の牧草地  A 六会マンション前、境川川岸のキバナコスモス  B 西俣野の畦道の彼岸花
  C 善行の大きなお花屋さん  D 善行住宅地で見たハギ  E 天神町住宅地で見たトレニア